桐谷美玲W主演で豪華二本立て映画「乱反射」「スノーフレーク」

歌集「踏絵」を発表した白蓮

離婚して大手をふって実家に戻れるか。というとそんなことが許される時代でもなく、「出戻り」になった燁子は実家の柳原家本邸へ入れてもらうことは出来ずに、ほとんど幽閉状態と同じような生活をおくることになります。挨拶する程度でほとんど誰とも話すこともなく、小説や古典の差し入れをただひたすら読む。という幽閉状態で読書する日々を過ごすこと4年です。

そして実家のほうでは、再び燁子の再婚話が勧めらて、家出して兄夫婦の元へ預かられることになりそして現東洋英和女学院高等部へ編入することになります。この頃に、短歌の竹柏会に入門しています。

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短歌に思いのたけをぶちまける

久しぶりの学校生活はとても楽しく燁子にとっては年下になる同じ仲間の生徒たちとも、すっかりうちとけて楽しい学園生活を送り明治43年(1910年)に東洋英和女学校を卒業しています。そして卒業した年の11月に、九州の炭鉱王とお見合いするはこびとなり、燁子が知らないところで見合い話が進んでいたようで、燁子は当日お見合いを知ったというこれまたとっても辛い出来事でしたが、燁子の意見などは一切無視状態でどんどん話は進められ、炭鉱労働者からのたたき上げで一代で財をなした伝右衛門50歳と再婚することになりました。

素敵な女優さん

筑紫の女王としてブイブイいわす

伝右衛門との結婚生活は、燁子には楽しい生活ではなくお金には不自由しない生活ですが満たされない思いを抱きながらの九州での生活でした。かといって東京へ戻っても自分の戻る家はない状況も燁子自身もよくわかっていたので、かなり辛い生活だったと思います。伝右衛門には妾との間に実子がいますが、伝右衛門が遊びすぎて子供のできない身体ということもあって燁子が子供を授かることはないので不安定な立場でもあり、でもこんなど田舎でどんどん孤独を深めていきました。

そこで燁子の魂の叫びをすべてぶつけたのが「短歌」です。所属する竹柏会の機関誌「心の花」に、自分自身の私生活をどんどん歌い上げて生きます。さすがに師匠も燁子が送ってくる短歌の内容にびっくりして、これは本名ではなく雅号を使ったほうがいい。ということで、燁子ではなく「白蓮」を名乗るようになりました。

福岡の歌人や俳人たちと交流を深めていき、福岡社交界の花と白蓮はなりました。そしてお金はたっぷりあるので、自費出版で歌集をだします。その歌集が大正4年(1915年)「踏絵」です。「踏絵」はさすがお金に糸目をつけなかっただけのことはあり、かなり豪華な仕上がりです。挿絵を手がけたのは、その当時大人気画家の竹久夢二です。ものすごい豪華な歌集を発表して、そしてこの歌集も大きな話題になり、筑紫の女王とまで言われるほど多くの文化人が集まるサロンのマダムとなりました。

その後に伝右衛門の元から出奔する新聞にも取り上げられる「白蓮事件」を起こしますが、伝右衛門との結婚生活で孤独な日々を送りながら、赤裸々に歌にして詠むことで精神の均衡を保っていたのでしょう。

21世紀の現代人も白蓮から学ぶことが多いような気がします。短歌を詠むことに理由などいらないということでしょう。